TV放映の件で少し間があきました。
2005年の資料を見ていたら臨時新校舎完成への軌跡というリーフレットを見つけました。写真は9月の草原状態、実際の工事は11月からで翌年3月中の完成で進んだようです。2006年4月から使用が開始され、その年度の学校要覧の表紙も臨時新校舎に変わりました。この敷地にも当初から遺跡(七堂伽藍/下寺尾廃寺)の一部があると考えれれていたので盛り土をして建設されました。
2004年12月に行われた県の「茅ヶ崎北陵高校の今後の対応についての説明会」の記録をみると、質疑の中から抜粋 Q:仮設校舎は何年ぐらい使用するか? A;最短4年~7年、それより長くなる可能性があるので居住性を高める(空調設備等)。 Q:現校舎(旧校舎のこと)敷地の遺跡調査予定は? A:H17年度解体計画、18年度解体除去、18-19年度に遺跡調査。但し確定ではない。 Q:北陵高校が存続するためにはどうしたら? A:敷地は県の所有地なので敷地だけが史跡公園になる対象ならば(中略)県も判断できるが、遺跡は周りの民地にもある。将来的には茅ヶ崎市が文化財のの管理を行うことになるので茅ヶ崎市の判断要素が大きい。(長い中略)地権者の同意、茅ヶ崎市の整備構想や国とも調整も必要・・・相当長期になると思われる。 Q:代替地を探して校舎を移転してはどうか? A:代替地として3万km2の土地が必要。土地取得と校舎建設となれば100億円近くかかkる。 他にも仮校舎移転の際の要望等も話し合われている。その中で市との関係について、「茅ヶ崎市との協議では、現在の場所での存続というスタンスで話し合われており、茅ヶ崎市も理解している。(担当課長代理)」とある。
県と学校関係者及び保護者との記録は残っている。しかし、協議の当事者である県と市の記録は手元にはない。探してはみるが・・・。市議会や県議会の記録は議会(議長権限かな?)の調査権で判明するのではと思うのだが、調査してくれた議員はいるのだろうか?
シリーズ④は『臨時新校舎使用開始から今までは』でしたが、TV放映後の質問もあり、内容変更となりました。使用開始から今までは⑤以降に・・・。
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