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2019年4月10日アーカイブ

教育【青春スクロール】

県立茅ケ崎北陵(2)

写真・図版

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家事や子育てを楽しむ「主夫」でもある佐川

■サッカーと勉強、硬派に自分鍛える

 作家の佐川光晴(54、1983年卒)は入学式の朝、張り出されたクラス名簿を目で追い、自分の名前を探した。最後の8組の中にようやく見つけたが、当時の茅ケ崎北陵高校に男子だけのクラスがあることをその時初めて知った。

 1~6組が男女一緒で、7、8組は男子だけ。そのころは男子が圧倒的に多く、7、8組は入試の成績上位の男子が集められた、といううわさもあった。

 1年生から「部活のサッカーと勉強だけの生活だった」。男子クラスは好都合で、居心地が良かった。茅ケ崎市内の団地から自転車で通い、部活の後は泥だらけの練習着のまま自宅に直行した。

 2年生のクラス替えで男女一緒のクラスになった。「成績は上位なのに、どうして」と硬派の少年はむしろ不満だった。あのうわさは、うわさに過ぎなかったようだ。

 高校生活は楽しかった。サッカー部では1年からレギュラー。中盤の要で泥臭く走り回った。あり余る体力で、校内の陸上競技大会の1500メートル走では陸上部員にも勝った。

 気の合う友人と自転車で浜辺に行き、夢や悩みを語り合った。女子の人気もあったらしい。2年生の時、クラスの女子の人気投票で1位だったといわれた。卒業式の後、下級生の女子に「学生服のボタンをください」と求められたが、「あげられない」と断った。数日後の国立大の入試は学生服で受験し、大学でも学生服を着続けるつもりだったからだ。私服はほとんど持っていなかった。

 いろんなタイプの生徒がいた。リーゼントのとっぽい男子、芸能界をめざす女子。サッカー部には髪形を気にして試合以外はヘディングをしない先輩もいた。進学校ではあったが、歴史がまだ浅い高校はおおらかな雰囲気だったという。

 1年生の終わりごろから北海道大学をめざすと決めた。企業の労組役員だった父親が、労使紛争のさなかに暴行を受けたのが原因でうつ病になり、収入が大幅に減った。3人の妹と弟が1人いて、両親と合わせて7人家族の家計は苦しく、私立大学は選択肢になかった。

 「暖かく居心地がいい茅ケ崎を離れて、遠くに行きたいという気持ちが強かった。そして(伝統がありバンカラで有名な)北大の恵迪(けいてき)寮生になりたかった」。猛勉強をして現役で北大に合格した。

 大学卒業後すぐに結婚。就職した出版社は、幹部と衝突して1年で退社。バブル景気のさなかで、いわゆる「いい再就職先」はあったが「体を使って働きたい」と牛や豚を解体する仕事を自ら選び、10年半続けた。

 「自分を鍛えたい、自分で人生を切り開こうという気持ちは、高校時代から大人になってもずっとあった」

 小説を書き始めたのは、屠畜(とちく)場の仕事で一人前と認められるようになってからだった。2000年、自伝的小説「生活の設計」で新潮新人賞を受賞して作家デビュー。「ぼくたちは大人になる」(09年)では、茅ケ崎の母校を舞台にひたむきな男子高校生の過ちと成長を描いた。

(遠藤雄二)

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