校舎建て替えについての最近のブログ記事
FBでお知らせした通り、4月12日(土)茅ヶ崎北陵高校会議室で県の教育局まなびや計画課から、旧校舎のあった場所に校舎を建替えることがここ1年で変更された経過報告を受けました。昨年度、県内の木材を中心に利用して木造新校舎に建替えるための設計調査の予算が確保されたが、『①茅ヶ崎市議会からの意見書②団体(文化財保護団体等)からの意見書』をうけた。昨年末『茅ヶ崎市から市内移転に限らず移転先も考えてもよい』をうけて、近傍地も含め再度移転地を探すための県と市の協議を進めることになった。、
【平成26年度予算案で:県立学校耐震化の取り組みについて<という項目に>、平成27年度以降に対応を予定しているもの<の中に>・茅ヶ崎北陵高校〔本館棟、北館棟、中間A棟、中館B棟〕平成25年度に木造校舎による現地建替えに向けた調査設計費を計上していたが、茅ヶ崎市議会や各種団体からの意見を踏まえ、今後、市外の近傍地を含めた適地への移転の可能性について検討<とあります>】 <>は加筆です。
【 】内は公表されている現在の内容です。これを元に各新聞が報道したものです。
当日の質疑の中から
質問)今までの県と市の協議の中で具体的に移転地候補があったと思うが、何故移転できなかったのか?
回答)高校として運営するための校舎およびグラウンドの面積が確保されていなかいので無理である。県は高校として最低限度の敷地として条件に満たないと判断した。市内では候補地は難しい状況下、市側から市内に限らないということになり、再度移転候補地を求めることになった。地元自治会から候補地が挙がっているので、それも含め検討している。
その他、50年前に現地を寄付した旧土地所有者の確認は必要ないのか?移転先の土地の購入は市なのか?校地面積が足りなくても高さを増やすことでカバーできるのでは...。等々
今後の市との協議内容について同窓会にご報告いただけるか?→学校を通して随時、連絡する。ということで、今後も何か変化あれば、学校からもしくはこの場でお知らせすることができると思います。
10:30に始まり、12時近くまで...。結構突っ込んだ話もありましたが、報道以上の内容はない。というより、2月以降進展していないといことのようです。ただ、今年度中には対応ができるようにしたいとのことでした。県の考え、進めかたはわかりましたが、もう一方(近傍地も含めとなったから数市町かな)の茅ヶ崎市の考えは、市民の方はご存知なのかもしれませんが、茅ヶ崎市民ではない私には未だにわかりません。仮に史跡公園となった場合の近隣への影響など含めた案はあるのでしょうか。市も同窓生を含めた北陵に関わる人への説明ぐらいはして欲しいものです。
全くの余談ですが、説明会終了後、数年ぶりに実家のある鎌倉を歩いてきました。世界遺産の候補で騒がれていましたが、元住民としては、静かな穏やかな鎌倉が好き...でした。
入学式の際に撮った写真も載せますね。(4/8)
奥に体育館が見えます。
校舎は跡形もない。
右にあるような旧校舎の基礎を残して軽量のために木造校舎が建つはずだったんですがね。
4/12には、全ての基礎がなくなっていました。
前回案内した50周年記念誌はご希望の方に発送しました。
2014年になって久しぶりに旧校舎の様子を見てきました。
写真の左側は中館の通路部分、1階部分だけ残っているのは北館。奥に体育館の屋根が見えます。
工事予定を見ると1/22まで北館の躯体解体,23~25は中館躯体解体となっていました。
色々な思い出を残しただろう中庭は跡形もなく・・といったところです。新たな時代を迎えるためのセンチメンタルですかね。
私のように化石の一桁回生にとっては、学校自体が完成していない時の思い出も沢山ある校舎でした。
臨時新校舎(仮校舎)でしか過ごせなかった生徒たちも体育館への行き来、グラウンドへの行き来でずっと見てきた旧校舎です。あとわずかですが・・・。
三枚目の写真は本館を覆ったものです。解体の方法はよく分かりませんが、このパネル塀の奥の本館建物が解体されているんですね。コンクリなどの飛散防止なんでしょう。
こういった状況ですから、校舎前の道路を通過しても、まるで旧校舎はまだ存在しているように見えますが、校舎自体は1枚目、2枚目の状態です。
次は、3月の卒業式頃のアップになります。私の仕事も今が佳境を迎えているのであしからず・・・。
またまたですが・・・、50周年記念誌はまだ残っています、記念CDと一緒に送付しますので、ご希望の方は、
①FBのメッセージにお名前と住所を記入され送信いただければ、後日、同窓会より郵送します。
②50kinen@hokuryo.net に①同様に氏名・住所を記入され送信ください。
CDも同封します。
記念誌が欲しいというリクエストが入っているので、北陵へ行ってきました。冬休みを迎えた学校は軽音部のギターの音が響いていました。事務室に寄って同窓会の用品を保管してある部屋の鍵を借り、記念誌とCDを預かりました。鍵を返して記念誌を車に積み...、旧校舎のようすを見に行ってきました。
右は中館と北館の部分、テニスコート側から撮れました。つなぎの部分が壊されています。よく見てもらうとなんとなく分かりますが、北館(左側校舎)の1階の中(教室)と2・3階の中が違って見えると思います。
作業予定を見ました。内装解体と予定にあります。12/24は本館のようです。北館はすでに内装解体が終了しているようです。
年内は12/28までのようで、12/29~1/5まで休工とあります。
工事の横のテニスコートではソフトテニス部が練習をしていました。
フェンスの錆が気になります。学校の備品や什器には勝手に手をつけてはいけないようですが、フェンスの塗装をできたらいいなぁと思いました。フェンスは備品になるのかなぁ...?
横浜の某高校では、先生方が父母と一緒に廊下などの化粧のためにペンキを塗っていたけど...、いけないのかなぁ・・・。
体育館側から正面入り口側を撮ったものです。平屋の建物の左側がグラウンドです。
さて、問題です。この建物はもともと何だったでしょう?
中は3畳程度の広さで区切られ臨時の部室とかに使われるようです。
さて、もともとは・・・・?
答えは最後に・・・!
分かった人にも賞品は出ません。
前回の記事でも書きましたが、50周年記念行事の際の「記念誌」「記念曲CD」の在庫があります。
ご希望の方は、
①FBのメッセージにお名前と住所を記入され送信いただければ、後日、同窓会より郵送します。
②50kinen@hokuryo.net に①同様に氏名・住所を記入され送信ください。
CDも同封します。
平屋はもともと何だったか?の答えです。
〔答え〕自転車置き場でした。置き場の鉄の柱の部分を残して、床にコンクリートを流し、周りを木材で覆った建物です。臨時とはいえ、結構いいかも・・・。
次回は年あけですね・・・、みなさま、良いお年をお迎え下さい。とうとう還暦になってしまった爺、書きました。
12月16日、同窓会の連絡業務があり北陵へ行ってきました。前回同様、旧校舎のようすを見に行くと本館の奥に工事用の小屋が、その先には在校時も同じように見えていたのでしょうね・・雪の富士山が・・。
プールの解体予定が年内と聞いていたのでどうなっているのかと見に行きましたが、まったく変化なし、ただ周りをシートで目隠しされていました。写真は目隠しをめくり北館の足場を撮ったものです。
撮るのに苦労しました。金属板で周りが覆われ中に入れないので、金属板の穴から撮ってみました。
よく見てみると・・・、
『第22回卒業記念 憩いの広場』とありました。22回生の卒業記念のようです。北館と中館の間の庭のグラウンド側に位置します。
少女像のあった中庭・・。本館から中館につながる建物(棟)の下の部分が壊されています。奥に解体された物などを運ぶトラックが見えます。トラックを通すために下部が壊されているようです。
今回は、素人目にはあまり解体が進んでいるようには見えませんでした。
本館(富士の写真)の作業用の小屋の奥のテニスコート横に臨時の電気用の配管をするために穴を掘ってました。70~80cm位の掘り方でしたから「遺跡」は出ないはずです。
次はいつ行くかわかりませんが、解体の進捗状況がよく分かるような写真がアップできればよいなぁと思ってます。
同窓会会員の皆様へ
創立50周年記念の記念誌が発行されました。記念行事では式典に参加された方に配布されました。
まだ、多少ですが残っています。A4版で72ページ、下のCDは50周年記念曲(2曲)と校歌の入ったものです。
ご希望の方は、
①FBのメッセージにお名前と住所を記入され送信いただければ、後日、同窓会より郵送します。
②50kinen@hokuryo.net に①同様に氏名・住所を記入され送信ください。
CDも同封します。
11月半ばから旧校舎の解体工事がはじまりました。写真は旧中庭です。重機が入って土の上のコンクリート部分を丁寧にとっている様子です。
校舎部分の前に故障のため利用ができていなかったプールが年内に解体される予定です。
来年3月末の年度内に校舎の解体が終わる予定だそうですが、現在は庭とか記念物とかが除却されている状態です。新たな状況になった時に写真upしますね。
中庭に建っている少女の像もこの場を少しの間はなれることになります。
以前、この少女像を掲載した際に像が作成されるときの淡いエピソードを教えてくださった方がありました。
像が建ってから40年近く、中庭で生徒達の授業中の声を・・、休み時間のおしゃべりの声を・・・、部活で躍動する声を・・、聞き続けていたんですね。
校舎建替え終了までしばらくの間、生徒の応援はお休みしてもらいます。
グラウンド横のいちょうが色づきました。旧自転車置き場も解体されます。グラウンドと旧校舎の境をつくり、解体中の生徒の安全をはかるようで、旧自転車置き場にブッロク塀がつくられるようです。
50周年記念行事の際に作成した「50周年記念誌」がまだあります。ご希望の方にお分けいたします。後日、詳細を掲載いたします。
私は自由業なので夏休みがあって無いようなものでしたが、多くの方が楽しい夏休みを過ごされたと思います。
昨日、懇意にしている私学の先生方と会食してきました。その中の会話で、私学の先生:「野口さんは招けませんでしたよ」と...、その私学では野口聡一さんを招いて講演会を企画していたのですがジャクサからの回答で前述の通りに...。私が「北陵50周年には野口さんの講演決まりましたよ、さすが卒業生でしょ...」と言ったら、羨ましがっていました。
その後、ご一緒された先生の中にバスケの顧問がおり、今年、異動した北陵バスケ顧問の岡崎さんの話題も...。さらには「噂のチャンネル/遺跡の話、見ましたよ...」と、その中で先生:「プレハブ校舎だから生徒は可愛そうですね...」・・・私:目が点『そう感じるのかとTVの怖さ、言葉の怖さ』を感じました。そうですよねプレハブといえば...。そう思うんですよね。
4月と7月にあった「下寺尾官衙遺跡フォーラム」の中で盛んにプレハブで過ごすのはひどいことだと強調されている方がいました。たしかに、現在の校舎はプレハブです。しかし、教室にはエアコンが完備され、音漏れもない環境です。少なくとも旧校舎より快適な環境だと思います。ちなみに県立高校のエアコン設置はPTAがリースで行うのが潮流となってきましたが、まだまだ設置されていない県立高校は多くあります。
私は仕事の関係で県立100校私学50校程度の高校を20年位の間で訪問しています。その間、校舎建て替えのためプレハブで過ごす生徒の様子も見てきました。休み時間になると生徒達の足音で目の前の人との会話も聞こえなくなるようなプレハブもあります。一般的にはそうなんでしょう。しかし、北陵の臨時校舎は違います。見て聞いて体験してから状況は伝えて欲しいものです。
もちろん、グラウンドを含め不便があるは事実です。だからこそ県と市が早く解決を図って欲しいのです。今のところ県は県が出した方針に従って進んでいくようです(まなびや計画では建て替えはするが年度の記載はない/緑ヶ丘などは平成25年度中に建て替え完了とある)、市は「茅ヶ崎の中心は下寺尾遺跡にある(世界の中心で...)的」ですね。遺跡のすばらしさをとやかく言う人はいないでしょう。でも、北陵はどうなるの?その回答はどうなっているのでしょう。
9月14日(土)に第28回文化祭の一般開放です。同窓会も野口さんコーナーと遺跡で出展が決まりました。以前、有志が作成した新校舎模型も展示予定です。また、11月1日の50周年記念行事の件や学年同窓会(同期会)の支援(補助)のご案内のため、私も朝から詰めていますのでお立ち寄りください。なお、文化祭については後日、詳細を書きますので...。
2005年9月17日(土)18日(日)創立以来42年間使用されてきた旧校舎での最後の文化祭(第24回北陵祭)、テーマは「ザ・ラスト・ワルツ」、校舎との惜別の思いを込めて生徒達が決めたそうです。文化部の発表以外にも同窓会による「野口聡一さんコーナー」や震度7を体験できる起震車やおなじみの焼きそばにお化け屋敷もありました。湘南ベルマーレユースとサッカー部との招待試合もあったようです。私は毎回聞いているWind Ensembleを・・・、私達の頃に比べるとものすごく上手だったと記憶してます。水泳部のWater Peopleも良かった。自分達の文化祭のときを思い出した旧校舎での最後の文化祭でした。
あれから2007・2009・2011の三回の文化祭が臨時新校舎で、今年も9月13日(金)14日(土)に文化祭が開催されます。同窓会でもみどり会(PTAのOB会)と一緒に「遺跡と宇宙=校舎問題と野口さん(?)」といった感じのテーマで部屋を借りて参加したいと思っています。生徒さんたちのテーマは分かりませんが、創立50周年に関することもあるのではないでしょうか。
2005年までに行われてきた校舎移転に伴う諸問題の対策の一部の解決をしつつ、職員組織図の中に「新校舎準備委員会」がつくられ、翌年(2006)の学校目標に「地域との共生を図りながら臨時新校舎の学習環境の整備を目指す。また、分割された体育施設並びにその往復の安全確保に努める。」が記載された。ただ、当時課題とされていた部室の移動などは旧校舎解体工事がストップし先に進まず今に至っている。PTAの移転対策等特別委員会が設置されたのもこの年だった。
残念ながら当時の写真を持っていません。2005年~現在までで印象に残るお話や写真があったら送ってください。また、今年の文化祭(同窓会ブース)をお手伝いいただける方がいらっしゃればご一報下さい。なお、この件について高校へはまだ申し込んではいませんので参加できないかもしれませんが・・・。
5/26サンデースクランブルの放映の内容で、誤りと不明瞭な点がありました。情報提供者の誤りか、TVの情報不足なのかどうかはわかりません。
不明瞭①空撮による俯瞰した映像がありましたが、現在のようすではありません。みずきの住宅地もなく、懐かしの牛舎が映っていました。説明をきちんとすれば問題はないのですが・・・。ちなみにあの頃は・・はっ!周りは空き地(校舎建ちそうな広さ)だらけだったんですね。
不明瞭②想像図(イラスト)については、それぞれの遺跡があった当時はこのようになっていたように感じられた方もいるのではと思いますが、あくまで想像図であることが一言もなかった。このイラストが描かれて文書にはきちんと注記されています。描かれた方の思いは良く分かりますが・・・。想像=その時代だと錯覚しますね、吉野ヶ里も三内丸山も、古くは登呂も、学術的見地からの想像だとはいえ想像ですからね。むしろ当時はどんな生活をしていたのかと自分なりの想像をするほうが楽しいですが・・。
誤り③テロップで2002年耐震不足で校舎取り壊し、新校舎をグラウンドに建て替え計画 と流れてましたが、その当時は耐震不足が原因ではないはず、あくまで単位制普通科へ移行予定のため校舎建て替え、いわば老朽化対策。要は、旧校舎を取り壊しグラウンドにし、グラウンドに校舎を建てる際の調査において、遺跡が出た。その後の県有物(校舎など)の耐震化とあいまって"耐震化"のための建て替えと報じられたのだと思う。老朽化対策=耐震対策だから誤りともいえないが、時系列としては誤り。
不明瞭&一方的④県の木造校舎案の内容についての報道がない・・・県は遺跡保存のため、現校舎の基礎を利用し木造校舎を建て、グラウンドも一部遺跡の公開の形の案を出しているのに、その事柄が報道されていない。保存必要だけの立場での内容。周囲の遺跡群とともに史跡公園にするのが最良の方法であるという茅ヶ崎市の立場なんだろう。もう少し色々な角度からの内容なら歓迎できるが、情報収集には丁寧いさが必要だと思う。
コメンテーターにコメント コメンテーターっていいですね。遺跡保存宝くじ発行させて下さい。
いずれにしろ、県も市も今までの正しい情報を公開すべきだ。公開するのはいつ?いまでしょ!(このところ記事を書き続けているので多少疲れています。うぅうぅ) なお、個人の意見と前置きしていますが、広報ブログに載せるのは不適切とご意見いただければ即刻削除します。
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