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2019年4月 2日アーカイブ

朝日新聞神奈川版より  

写真の掲載はJAXAの許可が必要となりますので、フェイスブックの新聞のコピーをご覧ください。

教育【青春スクロール】

県立茅ケ崎北陵(1)

 

■淡いあこがれ、確かな夢に

 少年が抱いていた宇宙への淡いあこがれは、高校1年の春、「宇宙飛行士になる」という明確な夢に変わった。

 宇宙飛行士の野口聡一(53、1984年卒)は、県立茅ケ崎北陵高校(茅ケ崎市下寺尾)に入学して間もない81年4月12日、アメリカ航空宇宙局(NASA)の有人宇宙船スペースシャトル1号機の打ち上げ成功のニュースを、特別な思いで見つめた。

 「現実の職業として考えていいんじゃないか」

 子どものころ、テレビで「サンダーバード」や「宇宙戦艦ヤマト」を欠かさず見て、ずっと宇宙にあこがれてきた。だが、それはまだ「お話の世界」だった。ところが、宇宙飛行士がシャトルに搭乗して宇宙を旅し、地球に帰還するということが、リアルタイムで起きている。それは「僕の一生が変わったかもしれない」と思う出来事だった。

 高校3年になり、進路相談で担任に切り出した。

 「宇宙飛行士になりたいんです」

 毛利衛が日本人として初めてスペースシャトルに乗り込んだのが92年。その10年近くも前のことだから、日本人が宇宙飛行士になることは、一般には考えにくい時代だった。それでも担任の先生は笑ったり、驚いたりせず、「それじゃ、どこの工学部がいいかな」と真顔で応じてくれた。当時は航空学科や宇宙工学科は少なく、東大工学部航空学科を目指すことにした。懸命に勉強して合格し、夢の実現に向けて歩み始めた。

 「茅ケ崎というと海のイメージが強いが、高校は丘の上にあって、のんびりしていた。目の前のことばかりにとらわれず、広い目で将来のことを考えられた。いい時間だった」と3年間を振り返る。

 市内の自宅から学校までの約8キロを毎日、自転車で通い、大山や富士山を見ながら最後の坂道を上った。真冬の1週間、普段より早く登校し、生徒全員が学校の周囲約4キロを走る恒例行事があった。さぼる生徒もいたが、陸上部員だったのでそれは許されず、皆勤した。最終日に先生たちが作ってくれたお汁粉を食べ、幸せな気持ちになったことを今も覚えている。

 2005年、09年に続き、今年の終わりごろから3度目の国際宇宙ステーション滞在が予定されている。半年間の長期になる予定だ。54歳での出発は、日本人宇宙飛行士としては最年長となる見込みだ。

 「宇宙に行くための体力や体づくりはしている。経験を生かして、野球のイチローやサッカーのカズ(三浦知良)、スキージャンプの葛西(紀明)さんらレジェンドに負けないように頑張ります」

 現在は米国テキサス州ヒューストンを拠点に、訓練の目的や機器に応じて、ドイツやロシアなどを飛び回っているという。

 今回の取材は、ヒューストンと宇宙航空研究開発機構(JAXA)の東京都内の事務所をテレビ回線で結んで応じてくれた。最後にこんなメッセージを託した。

 「ふるさと茅ケ崎、神奈川のみなさんには毎回、温かい応援をいただいています。次回も宇宙から一緒に盛り上がり、楽しんでいただけるような機会をつくりたい」

 (敬称略。遠藤雄二が担当します)

     *

 1964年開校の全日制普通科高校。高度経済成長、人口増、高校進学率の上昇という環境の中、地域住民の要望を受けて設立された。旧校舎があった敷地から重要な遺跡群が発見されたことから、2006年4月から近くのプレハブの仮設校舎を使い続けている。県が移転候補地の地権者と交渉中だ。

 

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